青空と大阪城

戦国武将の死生観

戦国武将の死生観

戦いの人生を送った戦国武将たちは死をいつも覚悟していたはずです。
また戦いに勝ったときには、相手の将軍の首を取るということが当然だった時代であり、現代の人とは死に対しての考え方や覚悟はまったく違うのではないでしょうか。
戦国大将の有名な句から彼らの死生観を覗いてみましょう。

豊臣秀吉

下層階級に生まれながらも織田信長に仕官し大出世をした武将で、大阪城を築き関白まで登り詰めたすごい実力を持った戦国三英傑のひとりです。
秀吉の句は「露と落ち 露と消えにし 我が身かな 浪速のことは 夢のまた夢」というもので、自分は露のように生まれ露のように消えて行くものだ、栄華の人生も夢の中の夢だという句です。

あれほど現実を生きた人でありながら、生というものはとてもはかないということを身にしみて感じていたのではないでしょうか。
今を必死に生きた武将だからこそ、そのはかなさも見えていたのかも知れません。

徳川家康

小さな地方豪族の家に生まれ、子どもの頃には人質として大名のところを点々とした辛い日々を過ごしています。
関ヶ原の合戦で勝利した後、1603年に征夷大将軍となって江戸に幕府を開き、明治維新が起こるまで264年間という長い時代を統治した、戦国時代の最後の勝利者とも言える武将です。

家康の句には「先に行く あとに残るも同じこと 連れて行けぬをわかれぞと思う」というもので、先に自分は行くが、残った人たちもいずれ死ぬことになる。
一緒には行けないので、ここで別れようという意味の句ですが、誰もがいずれ死ぬのだという死生観をしっかりもっていると感じる句です。
やはり自分の子どもや身内などとの辛い別れなどを、たくさん経験しなければならない戦国の時代を通り抜けた人の死生観はやはり潔さがあるのかも知れません。

明智光秀

光秀の句は「順逆無二門 大道徹心源 五十五年夢 覚来帰一元」というもので、心の源に従ったことであり、間違ったことはしていない自分の人生は、55年の夢から覚めて新しい人生が始まるのだという意味の句です。
やはり55年間の生きたことを悔いてはいないことと、死からまた新しい人生が始まるという死生観を持っていたことが見えてきます。

石田三成

三成の句は「筑摩江や 芦間に灯す かがり火と ともに消えゆく 我が身なりけり」となり、筑摩江の芦の間に灯っているかがり火のように、自分の人生もはかなく消えていくのだという意味です。
必死に生きた人生でも、振り返ればとてもはかなく消えているものだという死生観を表した句ですが、やはり命をかけて生きたからこそ、最後に思うことはすべてはかないと感じるのかも知れません。

伊達政宗

政宗の句は「曇りなき 心の月を 先だてて 浮世の闇を 照してぞ行く」というもので、何も見えない闇を照らす月の光のように、自分は信念で先を照らして戦国の世を歩いてきた人生だったという意味です。
句自体には人生を思い返すことだけとなっており、はかなさなどの言葉はありませんが、悔いなしという潔さが感じられます。

上杉謙信

謙信の句は「極楽も 地獄も先は 有明の 月の心に 懸かる雲なし」というもので、天国に行くか地獄に行くか分からないが、自分の心は1点の曇りもなく晴れやかだというものです。
潔さと死を当たり前に受け入れる死生観が感じられます。

柴田勝家

勝家の句は「夏の夜の 夢路はかなき 後の名を 雲井にあげよ 山ほととぎす」となっており、夏の夜のようにはかない人生であったが、わたしの生きた証を天高く導いてくれという意味です。
黄泉の国へ導く鳥と考えられていたほととぎすにすべてを身を任せており、なるようにしかならないという、死を潔く受け入れている死生観を感じます。

毛利元就・足利義輝・陶 晴賢・大内義隆・黒田官兵衛・清水宗治

他にも毛利元就の句には「友を得て なおぞ嬉しき 桜花 昨日にかはる 今日のいろ香は」というものがあります。
大内義隆の句には「討つ者も 討たるる者も 諸ともに 如露亦如電 応作如是観」、黒田官兵衛の句には「おもひおく 言の葉なくて つひにゆく みちはまよわじ なるにまかせて」。

足利義輝の句には「五月雨は 露か涙か 不如帰 我が名をあげよ 雲の上まで」、陶 晴賢の句には「何を惜しみ 何を恨みん 元よりも この有様に 定まれる身に」。
清水宗治の句には「浮世をば 今こそ渡れ 武士(もののふ)の 名を高松の 苔に残して」など、やはりこの時代の武将たちの死生観を見ると潔さを感じざるを得ません。