他宗教に見る死生観

死生観は信仰する宗教や、その土地柄・国柄によってかなり大きく異なります。
私達日本人にとっての死生観は、多少の違いはあれどほとんどの人が仏教的な考え方がもとになっており、そこに伝統的な先祖崇拝の思想が入り込むことによって独自の思想概念ができあがっています。
ですが、仏教とは違った宗教的背景を持つ国にとっては、死後の自分の行く先についての考え方は驚くほど違ったものになっています。
死生観が違うということは、それはそのまま個人としての生き方を決めるときの指標も違ってくるということでもあります。
そこで、他宗教における死生観はどのようなものがあるかを参考として調べてみることにしました。

まずキリスト教における死生観ですが、これは宗教的思想の根底にある「永遠の時間」というものがもとになっています。
仏教においては輪廻の輪というように短いサイクルを繰り返すような概念がありますが、キリスト教の場合は今ここにいるこの世が終わった先には永遠の時間が待っているという考え方になります。
仏教においてもこの輪廻のサイクルから抜け出し永遠の時間にいたるということが宗教的な最高の到達点として位置づけられていますが、キリスト教の場合はより直線的な時間軸の考え方をしていると言えます。

次にユダヤ教における死生観ですが、ユダヤ人の魂は2回生まれ変わり3回めにその魂の生を全うするとされています。
この「生まれ変わり」という概念は仏教の輪廻転生に近いものですが、これは本人の努力や信心がそのまま生きている時の幸せにつながらないことに対しての説明をするためのもののようです。
つまり初めて生まれた生で何らかの罪を犯し、2度めの生でそれを償い、それでも償えない部分を3度めの生で全うしたところで神の前で天国・地獄への行き先を決めてもらうという考え方なのです。

ところで日本においてはごく自然に多くの人に信じられている「幽霊」の存在ですが、これも宗教的な背景によって受け止められ方は大きく違うようです。
ユダヤ教においては霊の存在は否定されており、怪談話そのものがあまり好まれない傾向にあります。
キリスト教においても本来人が死んで霊になるということは異端的な考えであるのですが、妖怪や悪魔の類であるアンデットや、肉体を持たない霊魂の存在は宗教的な考えはともかく庶民的な感覚として自然に信じられているようです。
なお神道では霊魂が現世に出現されることをかなり肯定的にとらえているようです。

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