死生観とはどういうものか

「武士道とは死ぬこととみつけたり」というのは山本常朝「葉隠」の教えです。
人は必ずいつか死ぬものですが、その死ぬ瞬間や死ぬべき時をいうことを考えるときには必ず、いかにして「生きるか」と考えることにもつながります。
死生観とは、そのように「死ぬ」ことに関しての前後の心構えとともに、「生きる」とはどのような意味を持ち、どうしてゆくべきかを考えていくことによって生まれるものです。
しかし死生観は正しい答えが唯一存在するようなものではなく、宗教や文化などその人の存在する環境などによって大きく異る考えとなってゆくものです。
これまでの長い歴史の中には、死生観について非常に深く掘り下げ、一つの体系として作り上げた偉人たちの言葉が残されています。

まず死生観というと、最も大きな関わりを持つのは宗教です。
世界的に信仰人数の多い宗教というと、「仏教」「キリスト教」「イスラム教」の3つになりますが、この3種類の死生観は一部重なるところを持ちつつかなり違った見方がされています。
例えば、仏教において死生観の根底となっているのは輪廻という生まれかわりの思想です。
人を含め生きとし生けるものは全て生命を全うすると同時に別の生命へ転生をします。
この繰り返しによって生を営むということになるため、死ぬ時にはそれまでの生の間にしてきたことの報いを受け継いでいくということになります。また、今の生が失われてもすぐに別の生となるのだから悲しむことはないという考え方としても捉えられます。
キリスト教やイスラム教においては、亡くなった人はしばらくの休息ののち、唯一絶対の存在である神の裁きをうけるとされています。
裁きを受けた時、生前に善行をしたものは天国へ、信仰薄く行為の悪しき者は地獄へ行くというのです。
これもまた、生きている間にしたことが死後の命運を決める意味のあるものであるという思想のもとになります。

宗教以外の側面で調べるのであれば、哲学者達の言葉がかなり参考になります。
古典哲学にはよく死後の世界や死者についてのことが語られていて、生前の考え方や行動が神に見咎められることにより、何らかのペナルティーを受けて長い年月を過ごさなくてはならなくなるという論が展開されています。
19世紀以降にはニーチェによる宗教的価値観を否定したり、その流れから実存主義哲学が生まれたりしています。
現代においての死生観は、神や仏にすがるのではなく自分自信としていかに生きるかを個人で考えていく時代背景によって作り出されるものと言えます。

 

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