脳死から見る死生観

普段の生活の中では、「自分が死んだらどうなるんだろう?」ということを真剣に考えることはあまりありません。
あるとしたら、重い病気や怪我をして生死の境をさまよった経験があったり、または非常に辛いことなどがあって死ぬことを少しでも考えたことがあるときです。
若くて健康で日常生活に悩みがほとんどないという人なら、死んだ後のことどころか自分はいつか必ず死ぬのだという当然の法則さえ忘れてしまいそうになります。
日本にいて信心深く何らかの宗教を持っている人はそれほど多くなく、従って死んだあとの世界のことを詳しく教えてくれるきっかけも少ないということになります。
おそらく一般的な日本人の多くは、なんとなくというイメージで生前によいことをしていれば「天国」に行き、悪いことをすれば「地獄」に行くという2つに一つというふうに考えていることでしょう。

ですが人の死について真剣に考えざるをえないような状況もまた、今の日本では起きています。
それは「脳死」の問題です。
脳死を人の死として認めるかということは、医学会ばかりでなく社会全体の倫理規範意識をも巻き込む大きな哲学的な問題であるからです。
脳死とは生命を営む脳の活動が正常に働かなくなってしまうことにより、生命はあるけれども意識がないという状態となってしまうことです。
混同されがちな状態として「植物状態」というものもありますが、脳死と植物状態の違いは脳の最も深い部分にある「脳幹」の活動があるかどうかです。
植物状態では意識がないというだけで生命維持を司る機能は正常に活動をしているため、何年かあとに突然意識を回復することがあります。
対して脳死では脳幹を含む脳全体の活動が不可逆的に停止してしまうことをいいます。
脳幹機能が失われることにより自力で呼吸などをすることができなくなり、脳死となった直後は生命があっても数時間~数日のうちにやがて死に至ることになります。

しかし脳死となった人が運良く数日生き延びることができたとしても、内臓やその他体の機能は活動を停止してしまっているため、どんどん状態が悪くなっていきます。
脳死が臓器移植のために問題になるのは、新鮮な状態の内臓を取り出すために、まだ生命活動をしている人の体にメスをいれなくてはいけないという点です。
脳死は強く頭を打った人の100人に1人はなるというので、決して他人ごととはいいきれません。
脳死となったときの自分の処遇について、一度死生観と合わせよく考えてみるべきでしょう。

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