先祖供養の必要性

現代では先祖供養に限らず、人形供養や針供養など、様々な物やことに対して供養するという傾向がありますが、そもそも供養とは何なのでしょうか。
御経を読みあげてあげることが供養と考える方も多いですし、感謝の気持ちを伝えるのが供養であるとする人もいます。
はたまた故人が好きだった食べ物を供えればそれだけで供養になるという方もいます。

供養とは?

広辞苑によると、供養とは三宝(仏、法、僧)または死者の霊に供物を捧げることだそうです。
この説明だけを考えると、供養とは実は物さえ供えてあげればそれで良いということになります。

しかし、それだけではどこか説明が足りずにどこか間違いがあるように思える方も多いと思います。
それは、この説明だけでは、霊魂に対して感謝の心が表現されていないからです。
「特段感謝はしていないけれども、とりあえず何か物を送ってやればそれでいい。」という考え方ではふてぶてしさばかりが強調されてしまうため、どこか間違っているような感覚に陥るのです。

やはり物を備えてあげるだけでなく、この行為に際しては感謝の心を持って臨まなければなりません。
単に物をあげるだけならば信仰心などは一切関係ありませんので、ご先祖様には感謝の祈りも共に捧げなければなりません。

どこからが先祖なのか

ところで、我々は亡くなられた方を「ご先祖様」や「仏様」と表現することがありますが、これには理由があるのはご存知でしょうか。
仏教では、亡くなられた方はやがて時が経つのに従って先祖となり、仏様へと昇格するとされています。

具体的に先祖や仏として奉られるようになるには、地域によっては多少の異なりはありますが、三十三回忌、つまり33年もの歳月が必要とされています。
三十三回忌が終わると、故人の位牌は川に流されたり寺へ納められたりされ、御仏として崇められることになるのです。
仏になる前、つまり33年もの間は先祖ではなく霊魂として考えられますが、時間が経つと先祖という単一の存在に変化するのです。

つまり先祖供養とは、亡くなられてから時間が経ち、我々の生活を守ってくれる仏様やご先祖様に対して、これからもお守りいただくようにと祈る場であると言えるでしょう。
単に心無く物を備えるだけではどこか物足りなさを感じてしまう理由には、我々にこのような宗教的文化が既に根付いているからと考えられるのです。

ご先祖様があってこその我が身であるという考え方もあり、むしろこちらの考え方の方が一般的ではありますが、その裏にはこのような理由があるということを知っておくのも重要です。

ここまで行きつけば、ご先祖様を崇めることとは仏様を敬うことと同義であることが分かると思います。
仏様を無下に扱ってしまうと、ご加護を得られないため災厄につながってしまいますので、宗教的には先祖供養は必要なのです。
正しい作法、つまり感謝の心を持った供養をするようにしましょう。

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