先祖供養と仏教との違い

先祖供養は、特別「こうしなければいけない」「こういう手順を守らなければならない」といった、きちんと決まった決まりごとがあるものではありません。
キリスト教の聖書やイスラム教のコーランのように、文字としてどのように神が存在し、どのように戒律を守るべきときちんと記されている文章もありません。
それどころか、供養や崇拝をする対象がどのような姿かたちをしており、私達の身の回りにどのように存在しているのかさえ、はっきり定められているわけではないのです。
先祖供養という考え方は、宗教的慣習ではあるものの教祖や経典のない、信じる人の心の中に漠然とある共通した認識としてのみ存在しているものなのです。

先祖供養について

先祖供養をするというと、お墓の前に佇むことを思い浮かべてしまうので、つい仏教的な儀式の一つと考えてしまいがちです。
ですが、仏教は基本的には釈迦の教えを守るというところが出発点となっているもので、その教えの中には特にお盆や墓参りといった風習は定められているわけではありません。
よくお墓参りを仏教行事と勘違いをしている人もいますが、実は釈迦の教えと先祖供養とは全く別の考え方によるものなのです。
それどころか、先祖崇拝の考え方は釈迦の教えと全く相反する矛盾したものとなっています。

例えば、仏教の釈迦の教えの代表的なものに「輪廻転生」という考え方があります。
輪廻転生とは、人は死後別の世界へと旅立ち、そのサイクルを経てあるいは再び別の生物としてこの世に生まれ出ることもあるという思想です。
全国各地の有名なお寺などには像などが作られていますが、輪廻とは「天上界」「人間界」「修羅界」「畜生界」「餓鬼界」「地獄界」の6つの世界のいずれかに死後移動をすることになるというものです。
輪廻の環の中にいることはまた苦しみを受け続けることなので、その世界にいるときにいかに仏教的な善行を積むかが課題とされてます。

仏教の最終目標となっているのは、この生と死のサイクルを抜け出し(解脱)、涅槃に至るということです。今生きているということはすなわち、涅槃への道を見つけるための修行をしているとも捉えることができます。
つまり、仏教の考え方によれば人は解脱をしていない限りは何度でもこの世に別の姿としてよみがえるので、墓標の中から自分の子孫を見守っているわけではないことになります。
釈迦は霊魂の存在を認めていないという解釈も仏教界では一般的となっているので、霊魂としてさまよう存在と、輪廻により他の生き物として存在をするものとは相容れない考え方です。

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