墓石の歴史

墓石と聞くと、普通縦長の長方形をした和型墓石を思い浮かべます。
和型墓石は江戸時代後半から日本のお墓の形として一般的になってきたもので、墓石の下の部分には引き出し状の遺骨を収める穴が開けられています。
日本においては墓石は一人一つではなく、一家に一つ、または一族に一つといったふうに非常に沢山の人が一箇所に収められる方式となっているので、和型墓石のような中身だけが簡単に入れ替えることができる形状は、利便性の面からも非常に役だつものであると言うことができます。
和型墓石が一般的になる前の鎌倉時代や室町時代では、「五輪塔」と呼ばれる○△□の石を組み合わせた独自複雑な形状をしたお墓が主流となっていました。

五輪塔は最も下段部分に□の石、真ん中に○石、最も上に四角錐(正面からは△)の石を置いて最後に頂点に水滴をひらべたくしたような形の石を置いています。
この石の形にはそれぞれきちんと意味があり、□(方形)は地輪、中央の丸石は水輪、天井の三角形を風輪、天井の水滴型を空輪と読んで、天地にある自然を表現しています。
同じ五輪塔であっても、古い時代に作られたものは基礎部分の低く作られる傾向にあり、鎌倉時代以降になると基礎がかなり高くなった五輪塔が作られるようになりました。
五輪塔を考案したのは真言宗の開祖として有名な空海とも言われており、宇宙を構成する六大元素と、人間の体内にある五大要素とを関連づけるためにあのような形状にしたと言われています。

室町時代にさしかかると、五輪塔とはまた別の形状をした無縫塔(卵塔)という形状をしたお墓が出始めます。
無縫塔とは五輪塔の三角形の屋根の部分がなく、灯籠の上に卵のような長球体を乗せた形状をしたものです。
無縫塔の起源は宋の国にあり、鎌倉時代に宋に渡った禅僧が持ち帰って禅宗のお墓の形として採用するようにしたことがはじめであったようです。
卵塔は戦国時代にかけて少しずつ形状を変化させてゆき、戦国武将達が亡くなる時代になってくると、頂点にある卵型の石は身の薄い前後に平面を持った形に変化します。
現在も各地の武将の墓には、基礎部分の上に仏の台座のようなものが乗り、その上に平面長球状の墓石が乗った形状のものが採用されています。
墓石に文字を彫ったりしてそこに眠る人がどのような人であったかを示すようになったのは、この形状になってからではないかと言われています。
有名な無縫塔のお墓としては、高知県眞如寺の山内一豊とその妻千代の墓があります。

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