人形供養とは

宗教は現代社会において、あまり必要性の無いものだと思われがちです。
古くから新興されているキリスト教やヒンドゥー教などと共に、仏教もまた世界的に広まった宗教の1つとして挙げられますが、これは仏の教えが優れており、人々を統治するためには最適であったことにも起因しています。

なぜ宗教が誕生したか

もともと宗教とはなぜ発生したのかというと、自国民を統治するために生まれたのです。
例えば法律が整備されていなかったエジプト文明などでは、国王自らが神の使いであると主張し、人民に信仰させることで、権力を更に伸ばした上で国民に悪いことをさせないという目的が見えます。
これは日本の場合も同様で、天皇は神様の末裔であるとすることで、人民を統治するための権力を得ていったのです。

しかし現代社会では、信仰に頼らずとも国民達自らが決めた法律によって罪が裁かれるようになったり、科学的な根拠のあるものしか信用しないという風潮があったり、合理的ではないことについては排除するという風潮や考え方も誕生しているため、宗教の力はそれほどまで必要とされていないのです。

人形供養のルーツ

人形供養の始まりは江戸時代にまで遡ります。
当時、子宝に恵まれない人々は上野にある寛永寺にお参りしていました。医学も発達していない時代ですので、神頼みをしていたわけです。
そしてやがて夫婦が子供を授かると、そのお礼として人形を奉納するようになりました。人形供養のルーツはこのエピソードに因んだものとなっております。

やがて戦後まで時が流れると、人形も供養してあげたいという風潮が誕生することになり、ここで生まれた風習が現代にまで受け継がれているのです。
これまでには、針供養や経典供養など、お世話になった物を葬る際には供養してもらうとい風習もありましたので、それと同様に物である人形が供養の対象となったと考えられます。

日本人の宗教に対する姿勢は、それほど熱烈な物ではなく、生活に根付いている程度のものです。
そのため、イスラム教のように毎日神様に祈りを捧げるようなこともしません。
あくまで風習として残っているだけであって、その風習に従って人形供養をしているという方も少なくありません。
法事はイベントにすぎないと考えられています。

しかし、それでは本来の意味がなされていないのではないのでしょうか。
確かにおおよそのことは宗教に頼らずとも科学などの発達した技術によって合理的に問題を解決していくことは可能ですが、それが全てではありません。これまでお世話になったという感謝の念を持った上で供養に向かうという姿勢が大事なのです。

これからも技術は更に発達していくことが予想されますが、常に謙虚する、何事にも感謝するという姿勢は世間を渡る上でも必要不可欠であることを忘れてはなりません。
人形供養はその姿勢の再確認できる場でもあるのです。

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